はじめに
人間は誰しもパフォーマンスを求め、最終的には asm.js か WebAssembly を手書きするようになるので、人権を手に入れるためにいつでも asm.js を書ける環境をつくります。 WebAssembly はさすがに手書き厳しそうでした。
というのは冗談で、zlib.js の一部の処理を asm.js で高速化できないかと考え、ひとまず Adler-32 と CRC-32 を asm.js で書き直してみた際にいろいろ苦労したので忘れないようにこの記事を書いています。
なお、今回 asm.js で書いたコードは以下の通り gist で公開しています。 zlib.js での採用はまだ検証が必要なので未定ですが、採用するにしてももう少しきちんとした書き方になるでしょう。
- Adler-32: https://gist.github.com/imaya/8c7339f63ac155c65eb189d12a4f9b26
- CRC-32: https://gist.github.com/imaya/6cd22d68c47133e871f5426ee824345c
asm.js 手書き環境の整備
JavaScript shell
asm.js は Mozilla が言い始めただけあって Firefox で実行するのが一番良いのですが、毎回 Firefox で実行するのは正直手間です。 そこで、ここでは Web ブラウザを使わずにコマンドラインだけで asm.js として正しいかチェックを行う環境を JavaScript shell を使って構築していきます。 JavaScript shell とは Mozilla の JavaScript エンジン SpiderMonkey のコマンドラインツールです。
ダウンロードと準備
下記のURLから、最新版の jsshell をダウンロードしましょう。
https://archive.mozilla.org/pub/firefox/nightly/latest-mozilla-central/
あとは展開してパスを通し、
$ js -w -c hoge.js
のように js ファイルを指定して実行すると、asm.js のチェック(というか、実際にコンパイルを試みる)を行います。
なお、 -w
オプションは warning を表示するオプションで、asm.js まわりのメッセージは warning として出力されるため必要となり、 -c
オプションはコンパイルのみ行い、実行はしないというオプションです。asm.jsとしてただしいコードかどうかはコンパイルできるかどうかで判別できるので、実行する必要はありません。
watch
各々の好きなタスクランナーで asm.js のコードが変更されたら JavaScript shell でチェックを行うようにすると便利です。
一例として npm scripts で chokidar-cli を使って行う場合の手順を書いておきます。
ディレクトリ構成
src
以下に *.asm.js
というファイル名で asm.js のコードを置き、vendor/jsshell
に JavaScript shell を配置しています。
.
├── package.json
├── src
│ ├── adler32.asm.js
│ └── crc32.asm.js
└── vendor
└── jsshell
├── js
├── libmozglue.dylib
└── libnss3.dylib
chokidar-cli のインストール
$ npm i -D chokidar-cli
npm scripts の登録
package.json 内の scripts に以下のように watch を追加します。
"scripts": {
"watch": "chokidar src/**/*.asm.js -c \"vendor/jsshell/js -w -c {path}\""
},
監視の開始
$ npm run watch
これで src/
以下に *.asm.js
となるファイルを作ったり更新したりすると、JavaScript shell によるチェックが行われるようになりました。
ひとまず、 asm.js を手書きで開発していく環境が整ったと言っても良いでしょう。
asm.js で詰まったポイント
仕様を軽く読んだだけでは覚えきれず、詰まったポイントが幾つかあったので詰まった現象と対処法を書いておきます。 型関係のエラーは大体言われてすぐ気がつくので省略します。
32bit整数同士の掛け算が * 演算子で行えない
具体的には
TypeError: asm.js type error: one arg to int multiply must be a small (-2 ^ 20, 2 ^ 20) int literal
というエラーの場合、asm.js の仕様 に書いてあるように Math.imul
を使いましょう。
Uint8Array, Int8Array 以外のヒープのビューにアクセスするときにエラーが出る
具体的には
TypeError: asm.js type error: index expression isn't shifted; must be an Int8/Uint8 access
というエラーです。
asm.js の仕様 によると index が数値ではなく expression の時は右シフトしなくてはならないので、 array[index << 2 >> 2]
のようにしましょう。
(この仕様は正直通常のJSで遅くなるのでツライ)
大きなヒープで何度も計算すると素のJSよりも遅くなる
asm.js では function の引数などに配列を使うことはできません。 では、どうするかというと最初に Heap (ArrayBuffer) を asm.js コードに渡してやり、その中で Uint8Array などでビューを作ってやり、自分でメモリの構造を決め、asm.js 内の各 function では index と length を使ってここからここまでは何々の配列として扱う、みたいなことをします。
CRC-32 の計算では事前計算テーブルとデータという2つの配列を扱わなくてはならないため、この2つの配列を結合するあたらしい ArrayBuffer を作り、それを heap として asm.js のコードを呼んでいました。 このときのヒープの構造は 0-1023 バイトまでは事前計算テーブル(32bit*256個)、1024 バイト以降は CRC-32 に渡すデータとして扱う、という形にしました。
なお、この際
var table = new stdlib.Uint32Array(heap, 0, 256);
var data = new stdlib.Uint8Array(heap, 1024);
のようにビューでわかりやすくすればいいのでは、と思ってやってみたところ asm.js では許されていませんでした。(コンストラクタの引数は heap のみの一つだけ、と言われます)
TypedArray#subarray
などのメソッドも使えないので素直に先頭からの index でアクセスしましょう。
こうして、配列の CRC-32 ハッシュ値を求めようとする際に、毎回テーブル+データのヒープを作ってasm.jsに渡す素直な実装が出来たわけですが、当然 ArrayBuffer の作成と(計算が行われた後は使わなくなるため)破棄が行われ、何度も実行していると GC が大量に発生することになり、asm.js 化する前より性能が落ちたりします。
function crc32_asm(data) {
var table = new Uint32Array([
// CRC-32 の事前計算テーブル
...
]);
function asm(stdlib, foreign, heap) {
"use asm";
var heapUint32 = new stdlib.Uint32Array(heap);
var heapUint8 = new stdlib.Uint8Array(heap);
function calc(pos, length) {
// CRC-32 の計算をして返す
}
return {
calc: calc
}
}
// 事前計算テーブルとCRC-32を求めたい配列の結合
var tableUint8Array = new Uint8Array(table.buffer);
var dataLength = tableUint8Array.length + data.length;
var heapSize = 1 << 8;
while (dataLength > heapSize) {
heapSize <<= 1;
}
var heap = new ArrayBuffer(heapSize);
var heapUint8Array = new Uint8Array(heap);
heapUint8Array.set(tableUint8Array);
heapUint8Array.set(data, tableUint8Array.length);
// asm.js にヒープを渡し、返ってきた calc 関数に引数を渡しそのまま実行
return asm(self, {}, heap).calc(0, data.length) >>> 0;
}
Web ブラウザの開発ツールでプロファイルを取ったところ、GC が支配的になっていることに気づいたので、ArrayBuffer の作成を最低限に抑えるようにしました。
具体的には、asm.js コード全体を呼び出すのは現在のヒープサイズでは足りない際に、ArrayBuffer を倍の長さで作り直した時だけで、それ以外は以前のヒープに TypedArray#set
でデータを上書きし、 asm.js コードの実行によって得られた function によってハッシュ値を計算するようにしました。
function crc32_asm() {
var table = new Uint32Array([
// CRC-32 の事前計算テーブル
...
]);
function asm(stdlib, foreign, heap) {
"use asm";
var heapUint32 = new stdlib.Uint32Array(heap);
var heapUint8 = new stdlib.Uint8Array(heap);
function calc(pos, length) {
// CRC-32 の計算をして返す
...
}
return {
calc: calc
}
}
function calcBufferSize(data) {
return 1024 + data.length;
}
var tableUint8Array = new Uint8Array(table.buffer);
var heapSize = 1 << 16;
var heap;
var heapUint8Array;
var asmFunctions;
function init() {
update(new Uint8Array(0));
}
// バッファの拡張と事前計算テーブルをセットして asm.js を実行し直す
function update(data) {
var requireBufferSize = calcBufferSize(data);
while (requireBufferSize > heapSize) {
heapSize <<= 1;
}
heap = new ArrayBuffer(heapSize);
heapUint8Array = new Uint8Array(heap);
heapUint8Array.set(tableUint8Array);
asmFunctions = asm(self, {}, heap);
}
function calc(data) {
// 現在のヒープサイズで足りないときだけ、asm.js を実行し直す
if (calcBufferSize(data) > heapSize) {
update(data);
}
// データを heap にセットする
heapUint8Array.set(data, 1024);
return asmFunctions.calc(0, data.length) >>> 0;
}
init();
return {
calc: calc
};
}
複数の配列を扱いたいという場合はわりとよくあると思うので、このバッファの使い回しは asm.js では基本となると思います。
また、私見ですがこのバッファの使い回しをすすめていくと、Webアプリケーション全体をプロセスとみなし、このバッファがプロセス内のデータセグメントとスタックセグメントのようになるのではないかと思います。 どういうことかというと、Webアプリケーション内全体で一度に大きな ArrayBuffer を確保し、asm.js で使用する変数や配列などをこの ArrayBuffer の中で割り当てていくメモリ管理コードを持つようになるということです。 このとき、長く使いそうなものは上から、一時的なものは下から積み上げていく、つまりプロセスにおけるデータセグメント内のヒープ領域とスタックセグメントのような形が考えられます。 そして、ヒープ領域の拡張時に断片化の解消などを含むメモリ管理の仕組みを再実装していくことになるのではないかと思います。
実際、Emscripten における runtime.js がそのような仕組みになっています。これは Emscripten が他言語で書かれたアプリケーションを動かすのを目的としているので、既存のプロセスのメモリ管理に相当する実装があるのは当然かも知れません。
つまり、人の手による温かみのある asm.js とは最終的にはほぼ Emscripten と同じようなコードになり、 asm.js の手書きとは人間 Emscripten になることであり、人権が失われ機械として生きていくということです。
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